芥川龍之介「父」・大正5年3月 [芥川龍之介]

今回は芥川龍之介の短編小説「父」を紹介します。
マイナーな作品です。
が、非常に印象的な作品なので、ぜひ読んでいただきたいと思います。

あらすじを簡潔に、最後までご紹介しますね。

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「自分」が中学校4年生の時、学校で修学旅行に行くことになった。
集合場所の上野駅に向かう電車の中で、
「自分」は小学校から同じ学校に通う能勢五十雄(のせ・いそお)に会う。

能勢は特別成績がいいわけではないが器用なタチで、
友人や教師からのウケもいい。
「自分」は能勢とは顔見知りではあったが、それほど親しいというわけではなかった。

上野駅に着いて、友人たちと合流した「自分」と能勢は、
駅を行き交う人々に好き勝手なあだ名を付けてクスクスと笑っていた。
中でも、一番絶妙なあだ名を付けるのは能勢だった。

すると、ちょうど目の前にマンガに出てくるような滑稽な風貌をした、年配の男性がいるのが見えた。
古くさい服装をしていて、あだ名をつけるにはかっこうの標的である。
皆、能勢がどんなうまいあだ名を付けるのか期待して待っていた。

が、「自分」はその古くさい服装をした男性が能勢の父親だと気づいた。
他の友人は能勢の父親の顔を知らない。
「自分」はそれが能勢の父親だと言おうとしたが、その瞬間に、
能勢が「あれは、ロンドン乞食だぜ」と言い、
友人たちが一斉に噴き出した。
能勢の父親の真似をする者もいた。
「自分」は能勢の顔を見ることができずに、うつむいていた。

あとから知ったことだが、
能勢の父親は当時大学の薬局に勤務していて、
その日は修学旅行に出発する息子の様子を見に、
わざわざ上野駅に来ていたのだった。

能勢は中学卒業後すぐに結核で死んだ。
中学校で開かれた追悼式で、「自分」は悼辞を読んだ。
悼辞の中に「君、父母に孝に」という句を入れた。

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いかがでしたでしょうか。
何だか甘酸っぱいような、苦いような、そんな物語ですよね。

「自分」は、器用な能勢に憧れを抱くと同時に、嫉妬心も持っていたのでしょう。
しかし、ふとしたことで能勢の秘密を知ってしまうわけです。
能勢は、みんなからウケるためには、実の父親をもネタにして小馬鹿にする、そんな一面を持っていることを、「自分」だけが気づいてしまったのです。

「自分」は能勢の追悼式で悼辞を読みますが、
その中で能勢を「孝行な息子」として表現したのはなぜでしょうか。
解釈は色々できると思います。
嫌味だとも考えられます。
「不孝」な一面を知っている「自分」だからこそ、
親をバカにして得意げな顔をしていた能勢に対して嫌味を言ったのだ、
とも考えられるでしょう。

「嫌味」ではなく、能勢と秘密を共有していたことを暗に示し、憧れていた能勢との密接な関係を強調したかったとも読めるでしょう。
「自分」は能勢に憧れていたのです。
憧れの能勢の秘密を自分だけが知っていた、その優越感を示したかったとも言えるでしょう。

あるいは、能勢のプライドを守ることで友情を示した、とも解釈できます。
「自分」は誰も気づいていなかった能勢の弱さを知っていました。
人前でむやみやたらに明るく振る舞う人が、実は陰ではものすごい弱さを持っているっていうことはよくあることだと思います。
能勢の饒舌さや明るさは、自分自身の弱さを隠すための鎧だったとも言えるでしょう。
「自分」はその鎧の中味を知ってしまったけれど、それを知らないフリをし続けることで、能勢に対しての敬意と友情を示した、そうも読めるのです。

色々な解釈ができる作品です。
読書感想文にも向いているのではないでしょうか。
ぜひ読んでみて下さいね!

映画のレビューと別人が書いてるんじゃないか? と思われるかもしれませんが、
同一人物です!

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