ニンフォマニアック VOL.2 [好き放題の映画レビュー]

こんにちは! 
人生の大半が勘違いのりんごっち@腐りかけだよ!



さてさてさて!
観てきましたよ、『ニンフォマニアック VOL.2』
健全な青少年の皆様は、
これ以上読まないで下さいね〜!
不健全な中高年はぜひぜひ読んで行って下さい!


VOL.1のときと同じですけど、
予告編貼っておきますよ〜!



VOL.1に続き、ジョーの性の告白は続きます。
不感症になってしまったジョーはどうなるのか、
なぜジョーは傷だらけで路地に倒れていたのか、
すべてが赤裸々に語られることになります!



ネタバレを避けてレビューしていきますが、
VOL.1がブラックユーモアに満ちていたので、
きっとVOL.2は鬱展開が待っているのだろう、
だって、ラース・フォン・トリアーだもの
そう思って観に行きました。


が、そうでもなかったです。
VOL.1同様、
声出して笑いそうになるのを必死に耐えるシーンもありました。
まさかの、
『アンチクライスト』のセルフパロディシーン
もあって、
予想外の展開に、思わず噴き出しました。


基本的に、性にとらわれた人間をコミカルに描く、
その姿勢は全編に共通しているようです。
コミカルと書きましたが、
もちろん、健康的に笑おうというのではなく、
自分自身も性にとらわれている、
それにはたと気づいて、
罪悪感を味わいながら笑う
そんな笑いに満ちています。



ジョーのセックスに対する態度はあまりに真剣です。
たかがセックスやん・・・・・・
そう思ってしまうのですが、
人類の歴史上セックスが原因で起きた事件、
セックスを目的とした犯罪がどれほどあったことでしょう。
たかだかセックス、されどセックス
人間は、他の動物と違って、
セックスを生殖目的以外にも行うように作られたため、
本来は非常に動物的な行為であるセックスに、
逆に支配されるようになってしまっているのです。



仕事で成功をしたいという欲望、
出世をしたいという欲望、
いい学校に入りたいという欲望、
金持ちになりたいという欲望、
これらの欲望は肯定的に捉えられていて、
大っぴらに語ることもまた許されています。


でも、セックスをしたいという欲望は、
人前で語ることを許されていません。
そう考えると、
ジョーという女性は、自分の欲望にあまりに素直で、
あまりにピュアな存在なのだとも言えるでしょう。
アダムとイブが恥辱を知る前のような、
原始的だけれども、純粋な存在なのです。



ジョーはセックスを通してしか人とつながれない、
セックスを通してしか自分の存在も認識できない、
そういう女性です。
彼女にとってのセックスは性欲ではなく、
むしろ、アイデンティティを確立させるための行為
なんだろうなあと思いながら観ていました。


ジョーの生き方はあまりに不器用で、
現代社会では、〈愛〉を求め、
〈愛〉に生きがいを見つける方が
よっぽど簡単なんでしょう。
それは同時に、
〈愛〉というのが実に合理的なシステムなんだと
いうことでもあるのかなと思います。



この映画は、女性の性に対する偏見とか差別
テーマにしているわけではないと思います。
女性に対する性差別といったときには、
その前提として男性と女性の二項対立が存在します。
性に対しての自由を許されていない女と、
ある程度の自由は許されている男、
そういう二項対立です。
男は、自分には与えられている権利が、
女には与えられていないと思い、
女を憐れむと同時に蔑み、
そして優越感を味わいます。


が、
自分には自由が与えられていると疑ってみない男もまた、
実は自由を制限されている、
そういうことを言いたいんだと思います。
つまり、
セックスに関する問題を男女に分けて考えて整理する、
その態度こそ欺瞞であり、
人は皆、セックスに関して不自由な存在なんです。



キャストに話を移しましょう!
VOL.1のレビューで絶賛したシャイア・ラブーフですが、
VOL.2の最初の方にも出ています!
やっぱりかっこいいし、
やっぱりエロいです!


一方、ジョー役は早々とシャルロット・ゲンズブール
バトンタッチしますが、
ちょっとゲンズブールさん、老けすぎかなあ・・・・・・。
ジェロームはシャイア・ラブーフのままなのに、
ジョーだけゲンズブールさんに替わっているシーンは、
ちょっと違和感を感じてしまいました。
だって、
もともとジェロームの方が年上って設定でしょ・・・・?
ゲンズブールさん好きですけどね、
好きなんですけど、ちょっと・・・・・・・。



そうそう、皆さんおまちかね(?)の、
ウィレム・デフォーさんもついに出てきますよ!
相変わらず、神レベルの法令線でした。



最後に、とてもいいセリフがあったので紹介しておきたいと思います。
正確には覚えていないのですが、
言葉を規制するごとに、
社会はその無能さを表している

そんな感じのセリフでした。


タブーを恐れずに映画を作り続ける
ラース・フォン・トリアーらしいセリフだと思いました。
私自身も、安易にタブーを設けることは嫌いだし、
特に、言葉狩りには怒りを覚えます。
言葉ができた段階で概念も形成されているわけで、
概念が形成された以上、
言葉を隠蔽したとしてもその概念は生き続ける、
そう思います。



長くなってしまいました!
今日は自宅でDVD鑑賞の予定です。
ここまで読んでくれてありがとう。
みなさんが読んでくれるから、
書くことに喜びを覚えます。
メルシーボークー!

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