裸足の季節 [好き放題の映画レビュー]

みなさん、こんにちは!
腐りかけのりんごです!



すっごいお久しぶりになってしまいました。
お久しぶりになる間、
りんごおばちゃんは、
愛しのAviciiを観たり、
Aviciiを観て泣いたりしていました!



つまり、Avicii最高! ってことです。



それはともかく、
映画は相変わらず観ております。
色々観て、印象深い作品もいくつかあるのですが、
今日は『裸足の季節』をご紹介致します。







って、ちゃうわーい (ノ`□´)ノ⌒┻━┻


聖子ちゃんはたしかにデビューの時から歌唱力抜群ですが、
今日ご紹介したいのはこちらです。



トルコを舞台にした映画で、
トルコ出身の女性監督・デニズ・ガムゼ・エルギュヴェンの作品です。


邦題は聖子ちゃんのデビュー曲と同じですが、
原題は『Mustang』
「Mustang」という語には、
「主人のいない家畜」という意味があるそうで、
この物語の主人公である五人の姉妹の境遇を、
皮肉に表したタイトルであると言えます。



イスタンブールから1000キロも離れた田舎の村。
両親を早くに亡くした五人姉妹は、
祖母と叔父に育てられていました。


美しい姉妹はのびのびと成長し、
学校帰りに同級生の男の子たちと無邪気に遊んだりも
するのですが、
そんな姉妹の行動を祖母や叔父は「不埒」と非難します。


祖母や叔父にとって大切なのは、
五人を処女のまま嫁に出すこと。
少女たちの自由な意思など全く認めてはいません。


やがて祖母と叔父は五人を自宅に軟禁し、
学校にも行かせることなく、
花嫁修業に務めさせるようになります。


長女、次女と順番に縁談が持ち込まれ、
瞬く間に嫁ぎ先が決まっていきますが、
まだ幼い末っ子のラーレは、
自分たちがそんな人生を強制させられていることに
疑問を感じ、反発を覚えていきます・・・・・・。



といった感じのお話です。
ストーリーを読むと、
フェミ臭プンプンのお話かと思われるかもしれませんが、
そんなことはありません。
女性の権利がーとか、
女性差別的な家父長制度がーとか、
確かに考えられなくもないのですが、
それ以上に、
美しいものが美しいままでいられないことを悲しむ気持ち、
美しいものをただ単純に愛でる気持ちが
この映画を観ていると刺激されます。



五人の姉妹はとにかく美しいんです。
最初登場したときには、
全員同じ髪型しているし、
見分けつくかなあと不安になったのですが、
一人一人のキャラクター設定がしっかりしているので、
すぐに見分けが付くようになります。


それぞれに性格が異なってはいるけれど、
どの子もみな、無邪気で、純粋で美しい
すらりと伸びた手足は、
エロティックな妄想を拒否するほどの
神々しい美しさを放っています。



その美しさが、古い制度によって失われてしまう、
それをただ単純に、惜しい、もったいないと思う気持ちを持つことは、
フェミニズムとかそういう主義主張を超えて、
実に自然な感情だと、私は思うんです。



『裸足の季節』の季節を観ている途中で、
ソフィア・コッポラの『ヴァージン・スーサイズ』を思い出しました。



ファンの方がいたらごめんなさい、
私、『ヴァージン・スーサイズ』が大嫌いです。
雰囲気だけを楽しむ、クソファッション映画だと思っています。
ファンの方がいたらごめんなさい。
でも、嫌いなものは嫌い。


今回、『裸足の季節』を観て、
その中で『ヴァージン・スーサイズ』を思い出して、
改めて『ヴァージン・スーサイズ』ってクソだなあと思いました。
まあ、あの雰囲気が好きなんだよって人もいるだろうし、
映画に何を求めるかで、評価も変わってくるとは思います。
私は、映画をBGMのように観るつもりはないし、
物語を通してつねに何らかの観念を得たいと考えています。


私があまりにも『ヴァージン・スーサイズ』の文句ばかり言うので、
うちの夫が言っていました。
「俺は好きだよ、あの映画。
 だって、あんなに人が死んでるのに、後になんにも残らない。
 それってすごいじゃん」


『裸足の季節』は、確実に後に残る映画です。
美しさを惜しむ気持ちを通して、
小さな怒りや苛立ちが心に生まれる、そんな映画です。


ただきれいな女の子をたくさん観たいだけでもいい、
ぜひ観てみて下さい。
私は、末っ子のラーレがいちばんかわいくて好きでした。
でも、他の4人も本当に魅力的です。



では、今日はこの辺で!
久しぶりに読んでくれてありがとう!
メルシーボークー!
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