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国木田独歩「空知川の岸辺」・明治35年11月 [国木田独歩]

国木田独歩の「空知川の岸辺」です。

先日「牛肉と馬鈴薯」のあらすじをまとめた際に、
独歩を含め、キリスト教に入信した当時の青年が、
北海道を自由の地と見て、
移住し開拓することに強い憧れを抱いていたと書きました。

そこで思い出したのが「空知川の岸辺」。
空知川とは、北海道を流れている川です。
富良野市辺りを流れているようです(地理はあり得ないくらい弱い)。

では、どんな物語なのかあらすじを紹介していきたいと思います。
この物語は「余」が自らの過去を語るという、
一人称独白体で語られています。

「余」は「よ」という一人称代名詞であって、
固有名詞ではないので誤解しないようにして下さい。

★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
中国地方で育った「余」は、北海道に対する憧れを抱いていた。
某年9月25日、「余」は北海道の空知太に発った。
現地に赴任している道庁の役人に会い、
後々移住するための土地の選定について相談をするためである。

「余」の興味は「如何にして社会に住むべきか」という問題にはなく、
「如何にしてこの天地間にこの生を託すべきか」ということにある。
列車の中で多くの移住者と乗り合わせたが、
彼らの興味は、北海道でいかに金を稼ぎ財産を築くかに置かれている。
「余」とは北海道移住に対する思いが異なるため、
北海道に来てからも「余」は孤独を感じずにはいられなかった。

空知太に向かう汽車の中で、「余」は40過ぎの男に話し掛けられる。
その男の、一癖も二癖もありそうな風貌から、
「余」は男を山師であろうと推測する。

汽車が終点に着くと、今度は乗合馬車に乗り換えた。
汽車の中で出会った山師に紹介された宿・三浦屋に行き、
そこの主人に空知川の沿岸に行く方法を聞くと、
引き返して歌志内経由で行った方がいいと言われる。

「余」は主人の言う通りにすることにし、
汽車の来る2時間あまりを、三浦屋の一室で過ごす。
一人でいると、東京にいる父母や弟、友人が懐かしく思い出される。
理想を実現させるために北海道移住を計画してはいるが、
理想というものは冷ややかなもので、
自然は冷厳で親しみにくいものだと「余」は思う。

汽車に乗り歌志内に着く。
宿の主人から、空知川沿岸の土地に詳しい役人が、
一里ほど先の小屋に滞在していることを聞く。
宿の主人は、翌日その小屋に行くことにした「余」に対し、
案内として自分の14歳の息子を同行させると申し出た。

「余」は宿の主人の親切な人柄にすっかり感銘を受ける。
来歴を聞くと、
主人は弟たちとの財産争いに嫌気が差し、
財産の大半を弟たちに譲り、
当時まだ9歳だった息子を連れて北海道に移住したという。
「余」はこの主人こそ、「男の中の男」だと思う。
自由に生き、決して社会に圧せられることなく、
それでいて人情を厚く持っている男だと思ったのだ。

夜10時ごろ、散歩に出ると、
近くの長屋から三味線に合わせて歌う声が聞こえる。
抗夫たちが酌婦を相手に酒を飲み、歌っているのだろうと思った「余」は、
その長屋に入ってみる。

長屋の中では、粗末な作りの部屋で、
肌を脱いだいかめしい男が、
髪を乱した女とどんちゃん騒ぎを繰り広げていた。

某年9月26日の朝9時、宿屋の息子と共に「余」は空知川の岸辺に向かう。
無事空知川の岸辺に着くと、
「余」は空知川の岸辺に立てられた小屋で、
道庁の役人・井田に会い、六カ所ほど適当な土地を選定してもらった。

井田と会った小屋は、3間×4間もないせまいもので、
屋根や壁は大木の樹皮をはぎあわせたもので作られている。
板を使っているのは床のみで、
床にはむしろが敷かれている。
開拓者はみな、このような粗末な小屋に住み、
北海道の厳しい冬を越すのである。

小屋の周囲を散歩した「余」は、
改めて「自然の無限の威力」を痛感する。
自然を前にした、人間の無力さを思ったのである。
自然の前では、人間の社会や歴史など何の意味も持たない。
人間の「生存」は、自然の一呼吸の中に託されているのである。

北海道の移住を望み空知川を訪れた「余」だったが、
結局、家の事情により移住は実現しなかった。
が、今でも空知川の岸辺を思うと、
冷厳なる自然に対する憧れを何故だか感じるのである。
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

いかがでしたでしょうか。
正直、何も起こらない物語です。
北海道に将来移住したいから下見に行って来た、
でも、結局移住しなかったんだよ・・・・・・というだけの物語、
といってしまえばそれまでです。

が、
「北海道」という土地が当時の青年にとってどのように映っていたのか、
それがよく分かります。

以下の一節をご覧下さい。

 石狩の野は雲低く迷いて車窓より眺むれば野にも山にも恐ろしき自然の力あふれ、此処に愛なく情なく、見るとして荒涼、寂寞、冷厳にしてかつ壮大なる光景はあたかも人間の無力と儚さとを冷笑う(あざわらう)が如くに見えた。


北海道は決してユートピアとして見られていたわけではありません。
当時の北海道は、その大半がまだ原生林でした。
無限に続く原生林というのを見たことがないのですが、
目の当たりにすると、
きっと飲み込まれるような恐怖心を感じるのでしょう。

物語にもあるように、
金儲けが目的で北海道に移住する人もたくさんいましたが、
「余」のような青年はそうではなく、
未開の原生林にこそ、理想を実現する可能性がある、
そう考えていたようです。
「牛肉と馬鈴薯」で見たように、
そんなに簡単なものではないんですけどね。

最後に、
物語中に出てくる単位について説明をしておきたいと思います。
1間は約1.8mです。
ですから、開拓民が住んでいた小屋は、
10m四方もないくらいの小さいものだったことが分かります。

続いて、1里は約4キロです。

あ、あと、あまり現在は使われていない単語についても解説しておきましょう。
「山師」というのは「山事」(やまごと)をする人、 すなわち、投機事業によって生計を立てている人のことです。
もっと具体的に言えば、
土地の転売によって儲けを得ようとしている人などのことです。
転じて、詐欺師という意味で取られることもあるのですが、
恐らく「空知川の岸辺」の中では、
そういう意味では使っていないと思います。


牛肉と馬鈴薯・酒中日記 (新潮文庫 (く-1-2))

牛肉と馬鈴薯・酒中日記 (新潮文庫 (く-1-2))

  • 作者: 国木田 独歩
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1970/06/02
  • メディア: 文庫


↑「牛肉と馬鈴薯」と同じ文庫に収録されています。


(38)国木田独歩 空知川の岸辺で (道新選書)

(38)国木田独歩 空知川の岸辺で (道新選書)

  • 作者: 岩井 洋
  • 出版社/メーカー: 北海道新聞社
  • 発売日: 2003/10
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)


↑この本は、独歩の作品集ではないのでお間違えなく〜。
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国木田独歩「牛肉と馬鈴薯」明治34年11月 [国木田独歩]

さて、今回は独歩の「牛肉と馬鈴薯」のあらすじをご紹介したいと思います。
独歩と言えば、「武蔵野」か「牛肉と馬鈴薯」が有名、
というか、文学史に載っているのはこの二作品くらいしかないと思います。
とは言え、「牛肉と馬鈴薯」を読んだことがあるという人は、
あまりいないのではないでしょうか。

最近の若者(こういう言い方は好きではないのですが)は、
「馬鈴薯」が何だか知らない人も多いようですが、
「馬鈴薯」とは「じゃがいも」のことです。
つまり、「牛肉と馬鈴薯」とは「Beef & Potates」という意味なのです。
何だかとても美味しそうなタイトルですが、
どのような内容なのでしょうか。
さっそく見ていきたいと思います。

★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
かつて、芝区桜田本郷町に明治倶楽部という名の洋館があった。
ある年の冬、明治倶楽部の二階に男が六人集まっていた。
北海道炭鉱会社の社員・上村(かみむら)を筆頭に、
竹村、綿貫、井山、松木、近藤の六人だ。
そこに一人の男が尋ねてきた。
文筆家としてそれなりに世に知られた岡本誠夫である。
岡本が六人のいる部屋に入ってきたとき、
六人は人生観について議論していた。
議論の中心にいる上村は、次のように言った。
「理想と実際は一致しない、果して一致しないとならば、
 理想に従うよりも実際に服するのが僕の理想だ。
 理想に従えば、芋ばかり喰っていなきゃアならない。
 ことによると、馬鈴薯(いも)も喰えないことになる」
これ以降六人は、理想主義を馬鈴薯党、
現実主義を牛肉党として話を進めていく。

上村が牛肉党を標榜するには理由があった。
現在三十五歳の上村は二十二歳で同志社を卒業したが、
同志社にいたころは熱心なキリスト教信者で、
北海道移住に大きな希望を抱いていた。
北海道を開拓して生活することこそ自由の獲得につながる、
そう思っていたのである。
特に、上村は北海道の冬に憧れを抱いていた。
「クリスマスと来るとどうしても雪がイヤという程降って、
 軒から棒のような氷柱が下っていないと嘘のよう」な気がしていたのだ。

同志社を卒業した一年後、
上村はついに北海道に移住し、十万坪の土地を手に入れた。
ところがわずか二ヶ月後、共に移住し、共に開墾事業に打ち込んでいた仲間・梶原が、
開墾を断念し、本土に戻ってしまった。
一人残された上村は開墾を続けたが、
それから三ヶ月後、冬の到来を前に北海道を去ることになった。
話し相手のいない孤独さ、米と芋しか食べるもののない貧しい食生活に
限界を感じたためである。

このような経験から、上村は金を稼ぎ、うまいものを食い、
気の合う仲間と集う生活の方がいいという結論に至ったのである。

上村の話を聞いていた綿貫は上村の話に同意するが、
近藤は、上村は馬鈴薯党から牛肉党に変節したから薄志弱行だという。
そして、近藤自身は主義で牛肉を食うのではなく、
ただ好きだから牛肉を食うのである、
「主義でもヘチマでもない」という。

六人の話を聞いていた岡本は、
「世の中の主義って言う奴ほど、愚なものはない」と言う。
そして、牛肉党か馬鈴薯党かという問いに対し、
自分は理想を奉ずることも、肉欲をもって充足することもできない、
と答える。
岡本が牛肉党にも馬鈴薯党にもなりきれないのは、
「不思議な願い」があるからだと言う。

その「不思議な願い」とは何かと近藤が尋ねると、
岡本はかつて一人の少女と相思相愛の関係であったと話し始める。

岡本が相思相愛の関係にあったのはお栄という少女である。
二人は互いに強く惹かれていたが、
お栄の母親は二人の交際を快く思っていなかった。
ある晩、二人の交際を牽制するような母親の言葉に対し、
お栄は「母の言葉を気にして私を見捨ててはいけない」と、
蒼白い顔で目に涙を浮かべて言った。
そんなお栄の様子を見た岡本は、
近いうちにお栄が死ぬのではないかと思う。

お栄が死ぬことなどない、そう自分に言い聞かせながら夜道を歩いていると、
岡本は首を吊って死んでいる女の死体を発見する。
まさかお栄では?! と思うが、
それはお栄ではなく、
兵士の子を妊娠したものの、兵士が国に帰ってしまったために
絶望した十九歳の女だった。
岡本の心配は杞憂だったようで、
翌日以降もお栄の様子は特に変わることはなかった。

お栄と交際していた当時、
岡本も上村同様、北海道移住に夢を馳せていた。
岡本の場合は、お栄と二人で移住することを夢見ていた。
岡本は移住の資金を調達するためにいったん国に帰ったが、
十日でお栄の元に戻るつもりが、
手続きに手間取り二十日も掛かってしまった。
そんな中お栄の母親から電報が届き、
慌てて岡本が帰京すると、お栄は死んでいた。
こうして岡本の希望は水の泡となってしまったのだった。

岡本の過去を聞いた近藤は、
岡本の恋人が死んだことをむしろ祝すと言う。
恋人が死んでなければ、もっと悲惨な結末になっていたはずだと言うのである。
近藤によれば、欠伸には「二種類の欠伸」があるという。
一つ目は「生命に倦みたる欠伸」、
二つ目は「恋愛に倦みたる欠伸」である。
「生命に倦みたる欠伸」をするのは男で、
女は「恋愛に倦みたる欠伸」をするという。
つまり、女は恋愛に飽きやすいので、
相思相愛のまま女が死んだのは、むしろ喜ぶべきだと言うのである。

さらに、近藤は岡本に向かって、
「不思議な願い」とは「死んだ少女に会いたい」ということかと尋ねるが、
岡本は「NO!」と否定する。
岡本は、確かにお栄の死は悲しむべきことで、
もう一度お栄に会いたいと何度も思ってはいるが、
しかし自分の抱いている「不思議な願い」はそれではない、という。

岡本は、自分の「不思議な願い」が叶いさえすれば、
お栄が復活しなくても構わないとまで言う。
岡本は、この「不思議な願い」を叶えるためならば、
殺人や放火といった罪を犯しても後悔はしないという。
聖人や神の子になるよりも、「不思議な願い」が叶うことを望む、
岡本はそう断言する。

岡本の言葉に、
話を聞いていた六人はその「不思議な願い」が何かを知りたがる。
期待に胸を膨らませていた六人だったが、
岡本の答えは
「喫驚(びっくり)したいというのが僕の願なんです」と答える。

あまりに拍子抜けの答えに、
「馬鹿馬鹿しい!」との声も上がったが、
岡本は説明を続ける。
「即ち僕の願いとは夢魔を振るい落としたいことです!
 宇宙の不思議を知りたいという願いではなく、
 不思議なる宇宙を驚きたいという願いです!
 死の秘密を知りたいという願いではなく、
 死という事実に驚きたいという願いです!
 むしろ、この使い古した葡萄のような眼球をえぐり出したいというのが
 僕の願いです!」

綿貫は呆れて、「いくらでも勝手に驚けばいいじゃないか」と言うが、
岡本は「勝手に驚くことはできない」という。
人は生まれてから様様な経験をする。
最初は驚くべき対象だったことでも、
次第に慣れてしまって驚くことができなくなる。
習慣(カストム)の力に支配され、色々なことに慣れ、感覚が鈍磨してしまうのである。
岡本は習慣の圧力から逃れ、驚異の念をもって宇宙に俯仰介立したい、
そう思っているのである。

このような願いを持っている岡本にとって、
牛肉党か馬鈴薯党かという問題はどうでもいいことだ。
岡本は人間を「驚く人」と「平気な人」の二種に大別する。
そして、自分も含め、世界中の人の大半が「平気な人」であるという。

岡本は昨晩、自分が死ぬ夢を見て、
夢の中で「まさか死ぬとは思わなかった!」と叫んだ。
人は友人や親類の死に接することがあるが、
それでも自分が死ぬことを現実的なものとしては捉えていない。
大抵の人が「まさか死ぬとは思わなかった!」と思うのである。

綿貫は、「わざわざ喫驚したいなんて物好きだね」と言って笑い、
それを受けて岡本も、
「僕も喫驚したいとは言っているけれど、単にそう言っているだけですよ、道楽ですよ」と言って笑ったが、
その顔に何とも言えない苦痛の色が浮かんでいるのを、
近藤は見逃さなかった。
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

いかがでしょうか。
なかなかまとめるのが難しい物語です。

まず、北海道移住についてですが、
明治政府は明治維新以降、北海道の開拓を重視していました。
それは、ロシアの侵攻に備えるという軍事的な意味もありましたが、
北海道には石炭や木材といった天然資源が豊富だったため、
それを活用するという目論見もあったからです。

北海道には、明治8年に札幌農学校が開設され、
初代教頭としてウィリアム・スミス・クラークが招かれました。
「Boys, be ambitious」で有名なクラークさんです。
クラークさんは熱心なキリスト教信者だったので、
札幌農学校の生徒たちにキリスト教に基づいた道徳教育を与えました。
クラークさんが退任した後も、
札幌農学校ではクラークさんの意思を引き継いだ教育が行われました。
クラークさんの教えを受けた札幌農学校第一期生は全員、
キリスト教信者になったというから、
クラークさんの影響力は相当なものだったようです。

そういうわけで、
北海道開拓とキリスト教徒は密接な関係があるのです。
実は、国木田独歩もまた、北海道移住を夢見ていた青年の一人であり、
熱心なキリスト教信者でもありました。
独歩は、大恋愛の末結婚した佐々城信子とともに北海道移住を夢見ていたのですが、
信子との結婚生活が数ヶ月で破綻したため、
北海道移住は実現しませんでした。

あれ、このブログ、こんなに詳しい解説書くブログじゃなかったっけ!

北海道移民の生活がどれくらいハードなものだったかは、
こちらのサイトに書いてありますので、
興味のある方はご覧下さいね。

あ、あと、
ところどころ、登場人物の台詞を引用していますが、
正確な引用ではなく、分かりやすく書き換えている部分もあります。
悪しからずご了承下さいませ。

では、この辺で失礼したいと思います。



牛肉と馬鈴薯・酒中日記 (新潮文庫 (く-1-2))

牛肉と馬鈴薯・酒中日記 (新潮文庫 (く-1-2))

  • 作者: 国木田 独歩
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1970/06/02
  • メディア: 文庫



↓注釈の詳しさだとこちらがオススメですが、古本しかないのでお値段はっちゃいますねー。

日本近代文学大系 10 国木田独歩集

日本近代文学大系 10 国木田独歩集

  • 作者: 国木田独歩
  • 出版社/メーカー: 角川書店
  • 発売日: 1990/09
  • メディア: 単行本



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国木田独歩「酒中日記」 明治35年11月 [国木田独歩]

はい、今回はちょっと気分を変えて国木田独歩です。
独歩もすっかりマイナーな作家になりました。
でも、中には面白い作品があって、
そのうちの一つがこの「酒中日記」かなあと。

ほんでは、行ってみましょうか〜。

★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

人口わずか100人あまりの離島・馬島(山口県)に暮らす大河今蔵は、
私塾を開き、島の子どもたちに勉強を教えている。
島民たちから食料を分けてもらい、今蔵を「先生」と慕う島民とともに酒をのんで呑気に暮らしている。
今蔵にはお露という可愛い恋人もいるが、
島民の勧めにも関わらず、お露と所帯を持とうとはしていない。
すっかり馬島に馴染んでいる今蔵であるが、
実は馬島にやってきたのは去年のことで、
5年前までは東京で小学校の校長を務めていた。
なぜ東京を離れ、馬島に行き着いたのか、
酒を呑まなくては思い出すことも辛い
みずからの履歴を、今蔵は日記に書き綴ることにした。

20代後半という若さでありながら校長を務めていた今蔵は、
周囲からの人望も厚く、
当時進行中であった学校改築工事の責任者として日々奔走していた。
家族は妻のお政と一人息子の助。
貧しいながらも地道な生活を送っていたが、
今蔵には悩みの種があった。
母と妹のことである。
お政と折り合いの悪い母親は今蔵とは同居せず、
生計を立てるためという理由から下宿屋を開業した。
時はちょうど日清戦争中。
兵隊が幅を利かせていた時代であり、
女は兵隊と結婚することに憧れていた時代でもあった。
母親の経営する下宿屋に兵隊が下宿してきたことを皮切りに、
母と妹は兵隊相手に「堕落」した生活を送るようになった。

「堕落」した日々を送る母親は金に困るようになり、
ことあるごとに今蔵に無心するようになった。
とは言え、小学校教員の給料などたかが知れたもの。
母親の言う金額をそのまま渡すことは難しい。
ある日、母親が5円寄こせと言ってきたが、
そんな大金あるはずもない。
お政は今蔵に隠れて一張羅の帯を質に入れたが、
それでも3円しか手に入れることができなかった。

5円受け取りに来た母親は、お政が3円しか渡さなかったことに腹を立て声を荒げた。
今蔵はそのとき不在だったため、お政一人で応対することとなったが、
泣き出したお政を前に母親は不満を並べ立てるばかりだった。
今蔵が帰らない限り埒があかないと判断した母親は、
今蔵に手紙を残そうと机の引き出しを開けた。
そこには今蔵が預かっている校舎改築工事の寄付金100円が入っていた。
それに気付いた母親は、100円を盗み、今蔵の家を後にする。

100円盗まれたことに気付いた今蔵は、すぐに母親の家に行くが、
いくら頭を下げて頼んでも、母親はしらばっくれるばかりで金を返そうともしない。
諦めた今蔵は仕方なく母親の家を出て自宅に向かうが、
野原を放心状態で歩く今蔵の足に、何かが当たった。
それは300円の入ったカバンだった。

今蔵は、300円のうち100円は「母親から返して貰った」とお政に見せ、
残りの200円は自宅のタンスに隠した。
カバンの中身には持ち主の名前が書かれており、
いつか返そうと思いながらも、100円などという大金を調達できる当てはなく、
日々は過ぎていった。
金を盗んだ罪悪感から、今蔵は時に生徒にきつく当たるようになる。

そんなある日、お政がタンスに隠してあった200円を見つけてしまう。
お政に気付かれたことを知った今蔵は興奮して家を飛び出すが、
気持ちを落ち着けて帰宅すると、
お政は裏の井戸に助と一緒に身を投げ死んでいた。

家族を失った今蔵は教員をやめることにし、
慰労金として受け取った金から補填し、カバンの持ち主に300円を返済した。
そして、東京を離れた今蔵は自殺を思いながら各地を転々とし、
昨年の春馬島に辿り着いたのである。

以上が今蔵の日記に書かれた過去の履歴であるが、
履歴を語り終えた翌日、今蔵は舟遊びの途中海に落ち、溺死した。
水面を見つめ、「お政お政」と叫びながら海に落ちていったのだという。
今蔵の日記は死後、馬島で小学校の教員が保管していたが、
その教員の友人である「記者」の手に渡ることとなった。
「記者」は、日記の末尾に今蔵の死後お露が子どもを産んだことを付け加え、
さらに、お政とお露のどっちの方が不幸か、どっちの方が悲惨かと問題を提起した。

★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

あらすじをまとめることは無益な行為なのでは?と思わされる作品でした。
枠組み小説かつ日記体という実に複雑な構造の作品なので、
どうしても作品そのものの味わいをあらすじで表すことはできませーん!
無念ではありますが。

「酒中日記」は新潮文庫『牛肉と馬鈴薯・酒中日記』で読むことができます[るんるん]


牛肉と馬鈴薯・酒中日記 (新潮文庫 (く-1-2))

牛肉と馬鈴薯・酒中日記 (新潮文庫 (く-1-2))

  • 作者: 国木田 独歩
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1970/05
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