バグダッド・カフェ(ニュー・ディレクターズ・カット版) [好き放題の映画レビュー]

お久しぶりです。
りんごっちです。

いつぶり・・・・・・?
まあ人生色々あって、コロナで失職したりもして、
そんなこんなで生きています。

大好きな香港のことも、
本当は語らなければいけないですよね。
でも、簡単に語ることでもないので、
今はやめておきます。

とりあえず時間ができたので、
毎日映画を観て、
毎日必ずブログに書こうかと考えています。

で、今日は『バグダッド・カフェ』
1987年製作の映画で、日本公開は1989年だということなので、
もう30年以上前の作品なんですね。
私も、20年前に観たっきりでした。



ラスベガスを目指して車を走らせていたドイツ人夫婦
二人は、荒れ果てた砂漠地帯には不似合いなスーツ姿です。
何が原因か大げんかとなり、
夫はその場に妻を残したまま、車を走らせていってしまいます。
下手したら妻、死ぬぞ・・・・・・?

その場に取り残されたのが、
ドイツ人のヤスミン・ムンシュテットナー。
非常に豊満(つまりデブ)な女性で、
鳥の羽根飾りのついた緑色の帽子をかぶり、
上下しっかりとスーツを着ているので、
そりゃもう汗だくです。

夫に放置されてしまったので、
暑い中を歩いてやっとたどり着いたのがバグダッド・カフェ。
カフェとモーテル、ガソリンスタンドを経営している、
アメリカ映画でよく見るあの手のタイプの店です。

バグダッド・カフェを切り盛りしているのは、
女主人のブレンダ
黒人女性です。
おそらくインディアン系と思われる従業員・カヘンガはいるものの、
夫のサル(猿ではない)は役立たずで、
コーヒーマシン壊れたから買ってこいって言ってるのに、
出掛けるたびに忘れて帰ってくる唐変木です。

ブレンダの息子・サロモは、
かつて結婚していたことがあるものの、
嫁は赤ん坊を置いて出て行ってしまいました。
赤ん坊はギャンギャン泣いているのに、
サロモの夢はピアニストになること。
ギャンギャン泣いてる横で延々とピアノを練習。
うるせえ、あああああああ、うるせえ!
ブレンダのイライラは募ります。

ブレンダには娘もいるのですが、
娘のフィリスは発情期、いや、思春期真っ盛りで、
男の尻を追い回すことしか考えていません。
うぜえ、ああああああああああ、うぜえええええ!
ブレンダの怒りは頂点に達しようとしています。

そんなところに
謎の外国人・ヤスミンが現れて部屋を貸してくれなんていうもんだから、
ハアアアアアア? なんじゃこの外国人は!
怪しいことこの上ないじゃろがああああああい!

と、
もう不信感丸出しで接客します。
カスタマーファーストなんて概念、皆無です。

ところが、
このヤスミンがバグダッド・カフェに関わる人と交流を重ねることによって、
自然と人々の心が和らいでいき、
それまで閑古鳥が鳴いていたバグダッド・カフェに
多くの客が集うようになる・・・・・・・・
それがこの映画の大まかなストーリーです。



20年ぶりに観たので、全くストーリーは覚えていませんでした。
さらに、20年前にどういう感想を持ったのかも、
全く覚えていません。
ですので、初見のつもりで感想を書いていきます。

まず面白いなと思ったのは、
この映画、アメリカ映画じゃないんですよね。
西ドイツで作られた映画なんです。
つまり、そういう点ではヤスミン側の視点で作られた作品であるということ。
言い換えれば、
ドイツ側から観たアメリカを描いている作品なんです。

当時のことを詳しく調べずに書きますが、
1987年はまだドイツは東西に分裂していました。
西ドイツ、東ドイツという言葉を知らない若い方も多いでしょうが、
冷戦によってドイツは東西に分裂していたんですね。
アメリカを中心とした資本主義陣営側についていたのが西ドイツで、
ソ連を中心とした共産主義陣営側が東ドイツでした。

私はドイツに2回行ったことがあって、
もちろん、ベルリンの壁が崩壊したあとではあるんですが、
うっかり間違えて旧東ドイツ側の駅で降りてしまったとき、
旧西ドイツとは空気感が違うことに驚きました。
あ、やばい、って思ったんですね。
もう20年も前のことなので、
今のドイツは状況もだいぶ異なっているでしょうが、
旧東ドイツ側は発展が遅れているというのを
肌で感じた瞬間でした。

東西に分かれていた時代のドイツを舞台にしていると言えば、
萩尾望都の『ポーの一族』の「小鳥の巣」があります。


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髪を切らずにいる生徒を先生が注意したら、
東西統一の願掛けをしているから切れない、
そう答えるシーンがあります。
キリアンという名の少年は、
東ドイツから西ドイツに逃げてきて、
東側に残した家族がどうなっているのか分からないでいます。

東側は市民に対する締め付けも強く、
生活も決して楽ではなかったようですが、
西側に暮らす人たちも決して安穏としていたわけではない、
「小鳥の巣」を読むとそれが分かります。


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東ドイツの様子が分かる映画です。おすすめ。

当時のドイツがそんな状況に置かれていたことを考えると、
ヤスミン夫妻にとって、
アメリカはある意味、
【希望の地】として位置付けられていた可能性も
十分に考えられるでしょう。
ところが、そのゴール、
桃源郷の象徴であるディズニーランド、
あるいはラスベガスに到着することなく、
ヤスミンは夫に置き去りにされてしまうのです。

一方、バグダッド・カフェの女主人ブレンダは、
あまりに役立たずの夫を追い出してしまいます
元々役立たずなので、
いなくなっても仕事にたいした支障はないのですが、
だからといってブレンダが傷付いていないはずはありません。

そんなヤスミンとブレンダが出会うことにより、
物語が動き出します。

ポイントは、ヤスミンもブレンダも、
どちらもアメリカではマージナルな存在であるということ。
ヤスミンは外国人だし、
ブレンダは黒人。
どちらも言ってみれば【余計者】なんです。

しかも、ヤスミンはデブ。
めちゃくちゃデブ
言うまでもなく、
アメリカ文化が作り出す理想の女性像は、
基本的にスリムな女性です。
スリムかつグラマー。
言っとくけど、デブはグラマーとは違う。
そういう点でも、ヤスミンはマージナルな存在なわけです。

しかも、
ヤスミンの夫、最初はヤスミンを探していたものの、
あっという間に探すのやめてますよね?
夫はヤスミンよりも先にバグダッド・カフェにやってきていて、
「妻は来てないかね、デブ、デブの女や」と、
片言の英語で尋ねてはいるのですが、
コーヒーを飲んだら満足して帰っちゃってるんです。
ここがとても面白いし、象徴的なんですが、
夫はバグダッド・カフェでコーヒーを注文します。
でも、コーヒーマシンは壊れているから出てきません。
そこに、サルが帰ってきて、
道に放置されていたのを拾ってきた魔法瓶に入っていたコーヒーを
夫に出します。
飲んだ夫は「おいしい!」と大満足。

でもね、この魔法瓶、
そもそも、ヤスミン夫妻が持っていたものなんです。
つまり、中に入っていたコーヒーはヤスミンが作った可能性が高い
ということなんです。
妻を探していたはずの夫が、
コーヒーを飲んだら満足して妻を探すの忘れちゃってて、
しかも、そのコーヒーが妻が作ったものだと気づかない、
これ、ダメ夫の典型じゃないですか。
言い換えれば、
夫が求めていたのはヤスミンが作るコーヒー、
あるいはコーヒーを作ることのできる妻であって、
ヤスミンそれ自身には対して興味がなかった
ということなのです。

ああ、夫婦あるある・・・・・・
妻が夫に抱く不満あるある・・・・・・!

しかし、ヤスミンはバグダッド・カフェでどんどん変化していきます。
すごいなあと思うのは、
最初ヤスミンが出てきたとき、
正直、不快なレベルで醜いんですね。
絵面汚ねえ
そう思うレベルです。

なのに、どんどんヤスミンは魅力的になっていきます。
女性としての輝きを取り戻していくんですね。

詳しくは語られませんが、
どうやらヤスミンは子どもが産めない体のようです。
このことが夫の関係に何か影響を与えていたかは分かりませんが、
30年前の作品であることを考えると、
「母親になれないこと」をハンディキャップとして
捉える女性が多かったであろうこと、
社会的にそういう風潮であったことが容易に推測できます。
悪い表現ですが、
女として、妻として半人前と見なされていたとも言えるでしょう。

ですが、バグダッド・カフェに来たヤスミンは、
そういう妻や母親といった役割からは解放されるのです。
ヤスミンの存在によってブレンダも変化を遂げていきますが、
ブレンダの方は、夫と仲直りすることになります。
夫を捨ててアメリカに残ることを決めたヤスミン、
夫と共に生きていくことを決めたブレンダ、
どちらも、自分でその生き方を決めています。
「母」にしろ「妻」にしろ、
その役割が固定的なもので、
なおかつその固定的な役割を強制されるから、
女は生きづらいんですよね。
ヤスミンもブレンダも、
自分で「母」の形、「妻」の形を決め直して、
そしてその役割を引き受ける決意をしたので、
前よりも生きやすくなったはずです。

最後に。
面白いなあと思ったのが、
バグダッド・カフェに最初に現れたときのヤスミン、
ちょっとメアリー・ポピンズみたいなファッションですよね。
・・・・・と思ったら、すでに指摘してる人いましたね。
メアリー・ポピンズが奇跡を運んできたように、
ヤスミンもまたバグダッド・カフェに奇跡を運んできたのかな、
とも読めますが、
ヤスミンは単にきっかけを与えただけ
ブレンダも、その他のバグダッド・カフェに関わる人たちも、
すべて自分で選んで決めて、自ら動いて現実を変えた、
そう思います。

メアリー・ポピンズの魔法がなくたって人は変われる
そう思った方が人生楽しいですもんね。
そして、
ディズニーランドの一歩手前に、
私たちが素手でつかむことのできる、
等身大のパラダイスがあるんですよ。

では、今日はこの辺で。
明日はお出かけなので映画は観ないです〜!
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