芥川龍之介「杜子春」・大正9年6月 [芥川龍之介]

芥川龍之介の「杜子春」です。
この作品は雑誌『赤い鳥』に発表されました。
『赤い鳥』は児童雑誌です。
つまり、この作品は子ども向けに書かれた童話であるということです。

この物語は、中国の古典『杜子春伝』を元に書かれています。
ですから、物語の舞台も中国=唐になっています。

では、どんなお話なのか、見てみましょう。

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唐の都の洛陽の西門にぼんやりと空を眺める男がいた。
男の名は杜子春。
杜子春はもともとは大金持ちの息子だったが、
財産を使い果たして、住む所もないその日暮らしを送っていた。
いっそのこと川に身を投げて死んでしまおうかと杜子春が考えていると、
目の前に、片目が斜視の老人が現れた。

「お前は何を考えているのだ」と問う老人に対し、
杜子春は「今夜寝るところがないのでどうしようかと思っていました」と答える。
すると老人は、
「夕日に向かって立つと地面に自分の影ができる。
 その影の頭の部分を掘ってみろ。
 車にいっぱいの黄金が埋まっているぞ」
と言う。
老人の言う通りに地面を掘ってみると、言葉通り黄金が出てくる。
杜子春は洛陽一の大金持ちとなった。

大金持ちとなった杜子春は、立派な家を買い贅沢三昧の暮らしを始める。
杜子春が金持ちになったことを聞いて、
それまでは疎遠だった友だちが大勢訪ねてくる。
杜子春は訪ねてくる客人を相手に、
毎日酒盛りを繰り広げた。

毎日のように贅沢三昧の宴会を繰り広げるうちに、
杜子春の財産は尽きていく。
次第に杜子春の元を訪ねる友人は少なくなり、
3年目の春、杜子春が元通りの一文無しになると、
杜子春の周りからは誰もいなくなってしまった。

以前と同じように西門の下でぼんやりと佇んでいると、
以前と同じように老人が現れた。
そして、今度は自分の影の胸の辺りを掘れと杜子春に言う。

今回もまた大金を手にし大金持ちとなった杜子春だったが、
前回同様、3年で財産を使い切ってしまった。

再び杜子春が西門の下に立っていると、
老人が現れ、影の腹の辺りを掘れと言う。
が、老人に対して杜子春は言った。
「自分はもうお金はいらない。人間というものに
 ほとほと愛想が尽きた。
 人間は皆薄情で、金のあるときだけチヤホヤしに来る。
 だから、もう一度金持ちになっても意味がない気がする。」
さらに、杜子春は老人の元で仙術の修行をしたいと申し出る。

杜子春の推測通り、老人は仙人であった。
峨眉山(がびざん)に住んでいる鉄冠子(てつかんし)という名の仙人だ。
鉄冠子は杜子春を弟子にすることを了承し、
竹杖に乗せて杜子春を峨眉山の大きな岩の上まで連れて行く。

鉄冠子は、これから西王母に会ってくるから、
その間この岩の上で待っているように杜子春に命じる。
ただし、絶対に声は出してはいけないという。
色々な魔性が現れてたぶらかそうとするだろうが、
絶対に声を出してはいけない、
もしも声を出したら、もう仙人にはなれないと思え、
そう言われて杜子春は、「命がなくなっても黙っている」ことを約束した。

鉄冠子が飛び去ってしばらくすると、空から声が聞こえてきた。
「そこにいるのは何者だ。返事をしなければ命はないぞ」
杜子春が返事をしないでいると、目の前に虎、続いて白い大蛇が現れる。
それでも杜子春が眉一つ動かさずにいると、
虎と蛇が同時に杜子春に飛びかかり、
杜子春の体に触れる寸前に霧のように消えてしまった。
杜子春はホッとして、今度はどんなことが起きるのかと心待ちにする。

続いて、黒い雲が空に現れ、激しい雷雨となった。
雲の間から一本の大きな火柱が杜子春めがけて落ちてきたので、
杜子春は思わず耳に手を当て、岩の上にひれ伏す。
が、目を開けると嵐はすっかり治まっていた。

さらに今度は、金の鎧を着た身の丈三丈(約9m)ほどの神将が現れる。
手には三つ叉の鉾を持っている。
神将は鉾の切っ先を杜子春の胸元に向けて言った。
「お前は何者だ。この峨眉山は大昔から俺の住みかだ。
 それにも関わらずたった一人でやってくるとは、
 お前はただものではなかろう」
杜子春が何も答えないので、神将は自分の眷属(けんぞく=部下)を呼び寄せる。
無数の神兵の姿を見て、思わず杜子春は声を上げそうになるが、
鉄冠子との約束を思い出し我慢する。
何も答えない杜子春に腹を立てた神将は、
鉾で杜子春を一突きにする。

神将に殺された杜子春の魂は、肉体から抜け出て地獄の底に下りていく。
森羅殿に行き着いた杜子春は、
閻魔大王の元に連れて行かれる。
閻魔大王に峨眉山に座っていた理由を聞かれるが、
やはり杜子春は答えない。
怒った閻魔大王は鬼たちに命じ、
杜子春にあらゆる責め苦を与える。
剣の山、血の池、炎の谷、氷の海・・・・・・。
それでも杜子春は何も喋ろうとしない。

呆れた鬼たちは、再び杜子春を閻魔大王の元に連れて行く。
閻魔大王は、畜生道に落ちていた杜子春の両親を連れてこさせる。
両親はみすぼらしい痩せ馬に姿を変えていたが、
それが両親だと杜子春にはすぐに分かった。

峨眉山で何をしていたかを言わないと両親を痛い目に遭わせると言われても、
杜子春は何も答えなかった。
閻魔大王は鬼に命じ、杜子春の両親を鉄のムチで打った。
両親は血の涙を浮かべ、激しくいなないた。

両親は肉が裂け、骨が砕けて息も絶え絶えの状態である。
「まだ白状しないのか」という閻魔大王の問いかけに、
杜子春は固く目を閉じて耐えていた。
すると、母親のかすかな声が聞こえてきた。
「心配しなくていいんだよ。おまえさえ幸せになってくれれば、
 私たちはどうなったっていいんだよ。
 何を聞かれても、言いたくないことは黙っていなさい」

杜子春は思わず目を開けた。
母親は自分のせいでこんなに酷い目にあったのに、
全く自分を恨む様子など見せていない。
金のあるときだけ自分をチヤホヤ持ち上げた世間の人とちがって、
母親は強い志、健気な決心をを持っているのである。
杜子春は、死にそうになっている母親の首を抱いて、
涙を流し、「おっかさん」と叫んだ。

気がつくと、また杜子春は洛陽の西門の下に立っていた。
老人は微笑みながら、
「どうだ、おれの弟子になっても仙人には到底なれないだろう」
と言った。
杜子春は、仙人にはなれなかったが、なれなかったことをむしろ嬉しく思う、と答えた。
老人は
「もしお前があのとき黙ったままだったら、即座にお前の命を奪うつもりだった。
 もうお前は仙人になりたいとは思っていないだろうが、
 では、この先何になりたいと思うのか」
と杜子春に尋ねた。
杜子春は
「何になっても、人間らしい、正直な暮らしをするつもりです」
と答える。
その答えを聞いた老人は、もう二度と杜子春の前には現れないことを告げるとともに、
泰山の南の麓にある家を畑ごと杜子春に譲ると言って去っていった。
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いかがでしたでしょうか。
正直、反省しています。
あらすじ、長すぎますよね。
もっと要点だけを捉えてコンパクトにまとめるべきでした。
ついつい丁寧にまとめてしまったので、
今後気を付けたいと思います。

物語の中で、いまいちイメージがつかめないのが、
神将とその眷属だと思います。

神将とは、仏の世界における武将です。
仏教の世界で、薬師如来に付き従っている12人の武将がいて、
十二神将と呼ばれています。
私も仏教にはあまり明るくないのですが、
新薬師寺のHPに十二神将像の画像が掲載されていました。
三つ叉の鉾を持っている像も掲載されています。
「杜子春」の中に出てくる神将がこの十二神将のことなのかは、
明記されていないのでよく分かりませんが、
杜子春の目の前に現れた神将のイメージをつかんでいただけたら
と思います。

この「杜子春」という物語、
非常に教訓的な物語であるように読めます。
親を思う優しい心が大切、と言っているように読めますが、
そもそも、
どうして仙人は杜子春の元を訪れたのでしょうか。
なんで杜子春が選ばれたのか、
考えてみると面白いと思います。

長くなったので、今日はこの辺で失礼します。
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