強迫/ロープ殺人事件 [好き放題の映画レビュー]
こんにちは! りんご@腐りかけです!
接続障害があったため、更新のチャンスを逃しました。
週末に観た映画のご紹介をせねば……!
録画しておいた『強迫/ロープ殺人事件』を観ました!
1959年のアメリカ映画です。
古いモノクロ映画ではありますが、
デジタルリマスターしてあるのかな、とても映像はクリアで観やすかったです。
白黒映画とか観ないし〜ウケル〜(´∀`*)
って若い人も多いようですが、
モノクロって独特の色彩の美しさがありますよね。
デジタルリマスターしてあると、その色彩が引き立つので大好きです!
この映画を録画しようと思ったのは、
映画の解説にヒッチコックの『ロープ』の題材となった云々と
書いてあったからです。
正確には、この映画が『ロープ』の題材になったのではなく、
この映画は、
1924年に実際にアメリカで起きた誘拐事件を題材としているのですが、
その誘拐事件は、
ヒッチコックが『ロープ』を撮るきっかけともなっているのです。
『強迫/ロープ殺人事件』のあらすじをざっと紹介しましょう。
ジャドとアーティは、飛び級で大学に進学したため、
まだ17歳と18歳にも関わらず、大学院に通っています。
二人はニーチェに心酔していて、
善悪の観念や倫理観や、法の規範に縛られることなく、
己の欲求をすべて実現することが可能だと考えています。
まずは窃盗を働いてみたのですが、
その程度の犯罪では満足できるはずもなく、
二人は殺人を犯します。
そして、遺体が発見されて警察が捜査を始めてからも、
自ら警察の捜査を協力をするなど、
まったく自らの犯罪を反省する態度は見せません。
が、小さなミスがきっかけで、
警察は彼らが犯人だと気付いてしまう・・・・・・・というお話です。
モデルとなった事件と、映画の中で描かれる事件との差異については、
ここでは触れないでおこうと思います。
ともかくも、
非常に頭のいい十代の二人の青年が、
自分たちの絶対的優越性を信じ、
他者の存在を徹底的に軽んじ、侮って行動した結果、
殺人を犯す、そういう物語です。
ニーチェの超人主義を実践した青年の物語、
と言ってもいいでしょう。
二人は頭がいいだけではなく、
非常に裕福で、いわゆる上流階級のおぼっちゃまです。
ジャドの方は、罪悪感に苛まれる様子を見せることがあるのですが、
アーティの方はそんな気配は全くありません。
〈完全犯罪〉を成し遂げる能力を自分たちは持っている、
自分たちは〈超人〉であると、
信じ切っているのです。
物語の終盤は、二人をどう社会が裁くのか、
裁判のシーンが続きます。
二人の弁護を担当する弁護士役を、
あの『家出のドリッピー』で有名なオーソン・ウェルズが演じています。
世論は二人を死刑にするべきだと厳しい態度を示すのですが、
果たして死刑にすることが二人にとって〈裁き〉となり得るのか、
死刑の是非を問う内容となっています。
この映画では、被害者の情報がほとんど語られません。
被害者の情報を語ることで、
感情的な義憤をかき立てるようなことはしていないのです。
映画の中では、被害者がどんな人物だったのか、
どれほど加害者が被害者にひどいことをしたのか、
情報として明確に与えられることはありません。
ただ、彼らの思想、態度のみに焦点を当てて、
その思想や態度をどう社会は裁くべきなのか考えるよう、
物語を構成しているように思います。
派手な映画ではありませんが、
印象に残る映画でした。
ヒッチコックの『ロープ』は随分前に観たっきりですが、
久しぶりに観てみようかな。
『ロープ』で犯罪を犯す二人も、
ゲームのように〈完全犯罪〉を実践していましたよね。
最後に苦言を呈しておきますが、
この映画のタイトルにある「ロープ殺人事件」は蛇足です。
物語に「ロープ」は登場しません。
辛うじて言うなら、
死刑=縛り首=ロープで吊られる
ってくらいでしょうか。
ヒッチコックの『ロープ』にいかにも関係があるように思わせる、
思わせぶりな邦題ですね。
タイトルも作品の一部なので、
こういうタイトルを付けるのは、やめた方がいいと思います。
お里が知れますよ、オホホ・・・・・・。
では、最後まで読んで下さって有り難う!
『強迫/ロープ殺人事件』は、日本ではDVD出てないのかな・・・・・・?
アメリカのAmazonでは売っているので、
日本でも発売されるといいですよね。
ほんでは、メルシーボークー!
↓ポッチリして下さると、超人になります。
にほんブログ村
接続障害があったため、更新のチャンスを逃しました。
週末に観た映画のご紹介をせねば……!
録画しておいた『強迫/ロープ殺人事件』を観ました!
1959年のアメリカ映画です。
古いモノクロ映画ではありますが、
デジタルリマスターしてあるのかな、とても映像はクリアで観やすかったです。
白黒映画とか観ないし〜ウケル〜(´∀`*)
って若い人も多いようですが、
モノクロって独特の色彩の美しさがありますよね。
デジタルリマスターしてあると、その色彩が引き立つので大好きです!
この映画を録画しようと思ったのは、
映画の解説にヒッチコックの『ロープ』の題材となった云々と
書いてあったからです。
正確には、この映画が『ロープ』の題材になったのではなく、
この映画は、
1924年に実際にアメリカで起きた誘拐事件を題材としているのですが、
その誘拐事件は、
ヒッチコックが『ロープ』を撮るきっかけともなっているのです。
『強迫/ロープ殺人事件』のあらすじをざっと紹介しましょう。
ジャドとアーティは、飛び級で大学に進学したため、
まだ17歳と18歳にも関わらず、大学院に通っています。
二人はニーチェに心酔していて、
善悪の観念や倫理観や、法の規範に縛られることなく、
己の欲求をすべて実現することが可能だと考えています。
まずは窃盗を働いてみたのですが、
その程度の犯罪では満足できるはずもなく、
二人は殺人を犯します。
そして、遺体が発見されて警察が捜査を始めてからも、
自ら警察の捜査を協力をするなど、
まったく自らの犯罪を反省する態度は見せません。
が、小さなミスがきっかけで、
警察は彼らが犯人だと気付いてしまう・・・・・・・というお話です。
モデルとなった事件と、映画の中で描かれる事件との差異については、
ここでは触れないでおこうと思います。
ともかくも、
非常に頭のいい十代の二人の青年が、
自分たちの絶対的優越性を信じ、
他者の存在を徹底的に軽んじ、侮って行動した結果、
殺人を犯す、そういう物語です。
ニーチェの超人主義を実践した青年の物語、
と言ってもいいでしょう。
二人は頭がいいだけではなく、
非常に裕福で、いわゆる上流階級のおぼっちゃまです。
ジャドの方は、罪悪感に苛まれる様子を見せることがあるのですが、
アーティの方はそんな気配は全くありません。
〈完全犯罪〉を成し遂げる能力を自分たちは持っている、
自分たちは〈超人〉であると、
信じ切っているのです。
物語の終盤は、二人をどう社会が裁くのか、
裁判のシーンが続きます。
二人の弁護を担当する弁護士役を、
あの『家出のドリッピー』で有名なオーソン・ウェルズが演じています。
世論は二人を死刑にするべきだと厳しい態度を示すのですが、
果たして死刑にすることが二人にとって〈裁き〉となり得るのか、
死刑の是非を問う内容となっています。
この映画では、被害者の情報がほとんど語られません。
被害者の情報を語ることで、
感情的な義憤をかき立てるようなことはしていないのです。
映画の中では、被害者がどんな人物だったのか、
どれほど加害者が被害者にひどいことをしたのか、
情報として明確に与えられることはありません。
ただ、彼らの思想、態度のみに焦点を当てて、
その思想や態度をどう社会は裁くべきなのか考えるよう、
物語を構成しているように思います。
派手な映画ではありませんが、
印象に残る映画でした。
ヒッチコックの『ロープ』は随分前に観たっきりですが、
久しぶりに観てみようかな。
『ロープ』で犯罪を犯す二人も、
ゲームのように〈完全犯罪〉を実践していましたよね。
最後に苦言を呈しておきますが、
この映画のタイトルにある「ロープ殺人事件」は蛇足です。
物語に「ロープ」は登場しません。
辛うじて言うなら、
死刑=縛り首=ロープで吊られる
ってくらいでしょうか。
ヒッチコックの『ロープ』にいかにも関係があるように思わせる、
思わせぶりな邦題ですね。
タイトルも作品の一部なので、
こういうタイトルを付けるのは、やめた方がいいと思います。
お里が知れますよ、オホホ・・・・・・。
では、最後まで読んで下さって有り難う!
『強迫/ロープ殺人事件』は、日本ではDVD出てないのかな・・・・・・?
アメリカのAmazonでは売っているので、
日本でも発売されるといいですよね。
ほんでは、メルシーボークー!
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2014-09-25 19:35
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